2010年1月24日日曜日

ありがとうSun、そしてジョナサン・シュワルツ!

1月21日、EUからOracleによるSun Microsystems買収が承認された。
最終的にあと数ヶ国の承認がいるが、Oracleにとっては殆どカタがついたようなものだろう。そこでSun CEOジョナサン・シュワルツ(Jonathan Schwartz )氏について書こうと思う。 私たちは今やJavaなしでは暮らせない。そのJavaを推進し、オープンソースとして大きなプレゼントをくれたのが彼だ。

Sunの始まりは1982年。
ビノッド・コースラ(Vinod Khosla)が声をかけてアンディー・ベクトルシャイム(Andy Bechtolsheim)、スコット・マクネリー(Scott McNealy)が集まり、すぐにビル・ジョイ(Bill Joy) も参加した。現在、著名なVCとなったビノッドの時代を読む目は確かだし、スコットは会社を経営するには十分過ぎる明晰な頭脳を持つていた。そしてアンディーが最先端のハードウェアを開発する神様なら、ビルは、あのBSDを開発した天才だ。こうして綺羅星のような人材が集まった。
全員が20台半ばという若いチームだった。

同年、アンディーとビルが心血を注いだM68000を搭載し、Sun-OSで動く初のワークステーションSun-1を発表。その後、2人はより高性能機を目指し、CISCからRISCの流れの中でUC Berkeleyが研究していたRISCに狙いを定めた。アンディーが考え出したSPARCの誕生(1985年)で ある。またビルが開発したBSD ベースのSun-OSは、その後、AT&Tと共同で彼らのUnix System-V(SVR4)とマージされ、その成果は1991年にリリースされたSolarisとなった。Javaは90年から始まり、チームの核であったジェームス・ゴスリング(James Gosling )らによって1995年にリリースされた。Sunの華々しい時代である。


しかし、輝かしい時代は永遠には続かない。
CPUはデスクトップやラップトップPCの普及で、よりコモディティー化して価格が低下、Intelの独壇場となり始め、2001年にはインターネットバブルが弾けた。大手企業ユーザーとインターネットの伸びに支えられてきたSunは試練の時を迎えた。Sunも1993年にはSolaris 2.1をx86版として出荷を始めたが、その販路開拓など販売には力が入らなかったとスコットは当時を述懐する。

一方、ジョナサン・シュワルツは幾つかの大学を出てマッケンジー&カンパニーに入社、その後退社して、1989年にライトハウス・デザインを共同設立。そしてシリコンバレーにやってきた。ライトハウスデザインがSunに買収されたのは1996年のことだ。ここシリコンバレーでは、企業買収が決まり、数ヶ月の移行期が済めば買収された会社のCEOは勿論、経営幹部は捨てられる。しかし彼は生き残った。翌1997年、ジョナサンはJavaのプロダクトマーケティングを担当する。この時期、Sunを率いるスコット・マクネリーは将来戦略で迷っていた。そんな彼にとって頼りになり始めた男、それがジョナサンだった。彼は、その後Javaだけでなく、Sunのソフトウェア全体を率いるVPに昇格し、2004年4月に実務を取り仕切るCOO兼プレジデントになった。若干38歳の若さだ。
スコットから実務のバトンを渡されたジョナサンが考え抜いた戦略はオープン化だ。それ以外には考えられなかった。他社はハードからソフト、さらにサービスへと売り上げの重点を移すが、Sunにはサービスを自社で行うゆとりも実績もない。ソフトをオープン化して時代の流れに乗り、その勢いでハードの売り上げをキープする。この戦略にスコットも同意し、2006年4月、ジョナサンがCEOを引き継いだ。スコットの最後の仕事は、引継ぎの前年、2005年6月始めのSunサーバー販売強化目的のStorageTek買収、同じ6月末にはJava製品の補完のためSeeBeyondも買収した。もともとジョナサンはソフトウェア人間だが、CEOになるとハードウェアのオープン化も模索し始めた。そのためにはSPARCだけではだめだ。こうして、一度、退社したアンディー・ベクトルシャイムがAMD Opteronサーバー技術を抱えて戻ってきた。2007年のことである。もう徹底したオープン化しかない。

CEOになった年の暮れ、ついにSolarisのオープン化が発表された。翌2005年1月にはopenSolarisプロジェクトが始動。同年末、やっとSolaris全体がオープンソースでビルド出来るところまで進んだ。さらに、同11月にはSolarisだけでなく、Java関連製品もオープン化すると発表した。これが後のオープンソース・アプリケーションサーバーGlassFishOpenESBの登場となり、同年末にはSPARCチップのオープン化openSPARCプロジェクトもスタートさせた。2008年1月、人気オープンソース・データベースのMySQLを買収。同2月、PCを仮想化プラットフォームに変えるVirtualBox開発元Inno Tekも買収。同9月、仮想化製品をオープンソース化したxVM Server/OpsをGPLv3でリリースすると発表。これによって、殆どの仕事がSun提供のオープンソース製品で出来る状況になった。また、Sunには2000年からのオフィススィートOpenOfficeもあるし、2008年秋にはStorageTek製品のオープン版Open Storageも登場した。

このような努力にも関わらず、Sunの業績は改善しなかった。
大手金融機関の優良顧客を抱えるSunにとって、きつかったのは2008年9月のリーマンショックだ。その後の混乱の中、昨年3月、Sunは最後の力をこめてクラウド戦略Open Cloud Platformを発表した。壇上に立ったのはクラウド部門を率いるデビッド・ダグラス(David Douglas)、そして詳細説明は同部門CTOのルー・タッカー(Lew Tucker)からだった。ルー、クラウドを勉強した人なら彼の名を知らない人は少ない。彼はSunからSalesforceに移り、硬直していたSalesforceのプラットフォーム構造を改革し、ユーザーが自由に追加・変更できるAPIとSDKを提供、そしてユーザーやISV間でソフトウェアを交換するAppExchangeを考え出した。2006年から始まったこの仕組みが、今日、SaaSベンダーとしてトップを走るSalesforceを甦らせた。

壇上の彼は、Sun Open CloudではオープンJavaシリーズの全てが使えること、Sunクラウドでは仮想マシンのスケールダウンやスケールアップが出来ること、それはまさに仮想マシンを超え、仮想データセンターを目指していると力説した。これまでのオープン化の集大成のようなクラウドの出現である。

発表当日は、3月18日。
その日の早朝からIBMによる買収の噂が流れ、会場のタイムズスクェアから目と鼻の先にあるウォールストリートは大騒ぎとなった。それからOracle買収に至った流れは知っての通りだ。

ジョナサン、ありがとう!
あなたは多くのものを私たちに残してくれた。
Fortune 500の大企業で唯一ブログJonathan’s Blogを書いたCEO、いつも大人気、ボクも楽しみだった。そんなCEOは他にはいないし、第一、ポニーテールのCEOだって初めてだ。それに趣味は料理で人をもてなすこと。公式の場ではジャケット姿、でも会社ではジーンズとスニーカー。どこからみてもシリコンバレーのミスターオープンソースだった。
また、いつか元気な姿を見せて欲しい。

2010年1月16日土曜日

クラウドコンピューティングに思う(3)
-ソフトウェアが変わる-

私見、その3。

今回はクラウド(物理から論理へ)移行に伴うソフトウェアの変化について考えてみたい。まず、クラウド以前の話として、仮想化技術が登場する前までは、我々の視点は常に物理的なものに注がれていた。サーバーボックスがあってOSを乗せ、ミドルウェアをインストールさせ、アプリケーションを走らせる。勿論、ソフトウェアは目に見えないが、ひとつの箱の中に実在するかのごとく扱ってきた。搭載するソフトウェアはCD(ないしダウンロード)で購入し、“Product Key”を打ち込んでライセンスとした。つまり、CDとProduct Keyを物理的なボックスのために購入してきた。

しかし、仮想化技術を施したクラウドコンピューティングが登場し、サーバーボックスが仮想マシンとなって論理化され、ネットワーク上に消えて見えなくなった。物理的に見えていたものが論理的になった瞬間、幾つもの問題が発生した。中央にある大型サーバーが無数の仮想マシンの塊に化けてしまった。とたんに、システム運用管理はこれまでの方法で大丈夫か、物理サーバーと論理サーバーは同じことが出来るのか、ソフトウェアはどうやってインストールするのか、バックアップはどうか、セキュリティーはどうするか、などなど。


-OSが変わる!-


簡単な話、OSだけ見ても、LinuxもWindowsもこのような状況は想定外だ。
これまでOSとは、物理マシンを前提に、上に乗るソフトウェアからハードウェアを隠蔽し、そのソフトウェアに必要なリソースを割り当て(Resource Allocation)ることが主な仕事だった。しかし、クラウドではOSの上に仮想化ソフトが乗って、無数の仮想マシンが作られ、その上にまたOSが乗り、そしてアプリケーションが動く。この要となる仮想化技術“Hypervisor”は、その名の通り、論理的にOSの上位に位置する。つまりHypervisorは、OSからハードウェアを隠蔽してリソースを再配分する。ひとつ位が上がったわけだ。このHypervisor型のWindowsやLinuxは中央にある大型サーバーにだけ必要で、仮想マシン上では必要がなく、今までのもので構わない。
ここまでが現実である。

ただ、このままで良いのだろうか。
細分化された仮想マシンにこれまでと同じOSが乗るだけでリソースの無駄使いだ。
これは誰にでもイメージできる。つまり、物理マシン用に開発したOSは、仮想マシンに転用は出来るが最適ではない。物理と論理の世界を始めから考慮にいれたOSが要る。例えば、データセンターの物理的な大型サーバーを制御するものを“Data Center OS”とし、仮想マシンにはそのサブセットとなる“Sub-OS”を用意する。両者は連携してクラウドで必要な物理マシンと仮想マシンを制御する。連携のためには何がしかの“Messaging”が要るし、論理化のためには“Object”な思考は欠かせない。このような考え方は以前から“Distributed OS”として研究されており、今、この分野が脚光を浴びはじめた。現にMicrosoftは“Midori”と呼ばれる次世代OS開発プロジェクトを進めている。MidoriはMulti-CoreやHyper-Vを用いた多重処理(Concurrency)向けOSとして、多くの期待が込められている。

クライアントOSも変わる。
Windows 7の発売時にWindows Server 2008との使い分けが話題になったが
仮想マシンを作り出すデータセンター用OSと仮想マシンOSの機能差だけでなく、クライアントOSにも変化が見える。Web全盛となった今日、クライアントOSも従来型OSとGoogle Chrome OSが示す直截的で軽量なブラウジング用OSに区分され始めた。この傾向はNetbookなどへの適用だけでなく、クラウドでも効果的だ。ユーザーの多くはクラウド上のアプリケーションをPCやスマートフォンなどからブラウズすれば十分だからだ。

-ソフトウェアも変わる!-

勿論、このような状況下でも、一足飛びにOSが変わるわけではない。
エンタープライズITをクラウド化するためには、新旧並存を前提とする段階的な移行が欠かせないし、新しいOSの開発と普及には多くの労力と長い年月が要る。この視点から、今、注目されているのがJeOS(Just enough OS)だ。JeOSは、当初、ソフトウェア・アプライアンス(Software Appliance)向けOSとして登場し、現在、Ubuntu JeOS、Red Hat Appliance OS、SUSE JeOS、LimeJeos(openSUSE)、Oracle Enterprise Linux JeOS (OEL JeOS)などが出揃っている。このJeOSを仮想マシンに適用すれば、使い勝手が向上出来る。例えば、OSだけでなく、ミドルウェアやアプリケーションをアプライアンス化して仮想マシンのコンフィグレーター(Virtual Machine Configurator)でドラッグ&ドロップしてシステム構成を組み上げる。
これらのソフトウェア・アプライアンスはライブラリーとして関連するベンダーやプロバイダーが用意すればよい。現在JeOSベンダーだけでなく、仮想化技術ベンダーもアプライアンス作成ツール(Ubuntu Studio、VMware Studio、SUSE Studio)などを提供し、ライブラリーの整備に余念がない。この方法が定着すれば、仮想マシン上のソフトウェアは面倒なインストールから開放される。これまで身近な物理サーバーにインストールする場合でも大きなものは数時間を要した。同じ事をインターネット上の仮想マシンに向け、手元のCDドライブなどから実行しようとすれば、その数倍の時間がかかる。主要なソフトウェアがアプライアンス化されれば、状況は一変する。加えて、ライセンス戦略も変えることが出来る。既に一部のISVでは、アプライアンス化促進のために、利用期限を設定した無償のトライアルサービスを提供したり、ユティリティー課金を採用し始めたところもある。

-システム運用も変わる!-

システム運用の世界も変わる。
この分野では、物理的なデータセンターと論理的な仮想マシンを分けて扱うことがほぼ常識化された。センター側のData Center OSと仮想化ソフトウェアがAPIを持って、これと連動するシステム運用管理が整備され、データセンター内の自動システム運用管理(Automated System Administration)が定着し始めるだろう。一方、仮想マシンを管理するのは利用ユーザーだ。そのための方法は何処を見てもポータルが本命である。ク ラウドサービス・プロバイダーなどが提供するポータルを利用し、ユーザーはハードウェアやソフトウェアの構成、パフォーマンス、課金情報などを把握管理する。


以上がソフトウェアに関する将来展望だが、勿論、全てがこうなるわけではない。
OSについては時間がかかるが、サーバー用Data Center OSと連携するSub-OSの2つに分化して進み、JeOSはその下敷きとなって融合するだろう。またソフトウェアのアプライアンス化が進めば、新たに開発するアプリケーションや軽量のWebアプリケーション移行などは容易となる。しかし、大型で複雑なアプリケーションはオンプレミスとのスイッチバックや連携もあって、従来方式の利用が望まれる。
こうして、利用形態の新旧が並存するクラウドの第2ラウンドが始まる。

2010年1月11日月曜日

クラウドコンピューティングに思う(2)
-プライベートクラウドは流行らない-

私見、その2。
プライベートクラウドについて、いつも何か迷いがある。
考えれば考えるほど、はっきりしたものではないが、プライベートは一般的に普及しないのではないかと思う。第1世代のインターネットでIntranetがあったように、クラウドでもIntraCloudがあっても良さそうだ。しかしIntranetは当初の期待から形骸化し、ただのIPネットワークとWebアプリケーションに分解して一般化した。多分、企業向けのIntraCloud、いや、プライベートクラウドも同じような道をたどるのだろう。

◆ プライベートクラウドの課題

第2世代のインターネットを目指すクラウドでは、公共性が最重要だと、私見-その1-で指摘した。しかしながら、プライベートクラウドは、この公共性とは基本的に無関係だ。
プライベートでは、自社独自の技術基盤をクラウド化して利用することができる。しかしユーザーがこれを構築して“利用”したくなる動機は何だろう。また、自社独自とは言っても、大方はユーザー企業が依存するベンダー色に染まっており、そうでない場合はオープン環境となる。ベンダー依存が強ければ、そのベンダーが提供するパブリック
クラウドを利用することが出来るし、オープン環境ならAmazonなどパブリックなものを利用すれば良い。それでもプライベートを構築するという企業には、主なベンダーから構築ツールが提供されている。しかし、費用面ではパブリック利用がプライベートに比べて圧倒的に優位であることは疑いようがない。だとすると、自社のファイヤーウォール内に置いて完全なセキュリティーを維持したいか、相当の融通性のあるシステムを持ちたいかということになる。後者の事例は後述(Bechtelの場合)するが、パブリックのセキュリティー対応では、このところVPN適用が増えてきたし、幾つかクラウド対応も登場しているが、オンプレミス並みに十分でないことは確かである。残るは “Latency” つまり、ネットワークや処理速度などが気になるかだ。

もうひとつ、考えなければいけないことがある。
自社データセンターにVMwareやXen、Hyper-Vなどの“仮想化技術”を適用して、サーバー台数を最適化する方法は、大企業ユーザーなら、かなり浸透している。これについては、どの調査でも評価は良い。この場合、基本的にはソフトウェア構造を変えることなく、IT部門主導で進めることができる。しかしながら、クラウドとなると、そうとばかりは言えない。簡単な話、仮想マシンのセットアップや運用管理はデータセンター管理者の手から離れ、ユーザーが行うことが一般的だ。加えて、稀かもしれないが、仮想マシン環境とオンプレミスが完全に同じにならない可能性もあるし、アプリケーションに手を入れる場合も考えられる。現在の経済環境でそこまでするIT予算があるとは考えにくい。以上のように、いざ、プライベートの検討を始めると悩ましい壁に突き当たる。

◆ ベクテルの場合

サンフランシスコに本社を置く、世界的なエンジニアリング企業ベクテル(Bechtel)の場合は徹底している。同社は世界50ヶ国以上に事務所を持ち、原油掘削、鉱山開発、飛行場・港湾建設などで多くのプロジェクトを運営している。これらのプロジェクトは、多くのコントラクターやユーザーと深く係わりながら進めることが基本となる。そのような同社が自社システムをスクラッチから作り直したらどうなるか、4年前に自問した。

インターネットのフロントランナーGoogleやYoutube、Amazon、Slalesforceなどは常に最新技術を駆使したデータセンターを維持している。そこで、彼等の技術を徹底的に分析し、そこから学び取る作業が始まった。解ったことは気が遠くなるなるほどの違いだ。Goolgeでは大雑把に試算すると20万台の保有サーバーをたった12人のシステム管理者が受け持つ。1人当たりでは1万7000台の運用となり、Bechtelの実績は1,000台/人、17倍の開きだ。YouTubeの場合も1日当たり1億回のビデオストリーミングを無償で流すとすると、試算コストは10~15㌦/メガビットとなって、同社の500㌦と比べ、33~50倍も違う。Amazonが提供するストレージS3(最初の50TBまで15㌣/GB/月)とBechtelの場合(3.75㌦)を比べると、これも38倍となる。Salesforceからもポートフォリオの削減を学んだ。同社のSaaSアプリケーションは、端的に言えばCRMひとつだ。それに何百万というユーザーがついている。これに対し、Bechtelでは230のアプリケーションが動き、各々に複数のサブバージョンがある。勿論、これらは規模の経済が大きく効いているので、そのまま目標値化は出来ないが、大きな改善がいることだけは確かだ。

全ての調査が終わった。
そして、ネットワークを再設計し、サーバーやストレージの仮想化を進め、社内アプリケーションのSaaS化を推進するプロジェクトPSN(Project Services Network)が動き出した。データセンターはこれまでの7つを捨て、新たなものにする。つまり、“Scrap & Build”だ。仮想化された新データセンターは全世界3ヶ所(U.S.、U.K.、Singapore)となり、ソフトウェアポートフォリオはアプリケーションを中心に大幅に削減する。ネットワークはインターネット交換ハブを持ったGiga-Ethernetに替え、これまでのキャリアー依存を止めて自前とすることになった。

問題となったのはアプリケーション・ソフトウェアだ。
同社が保有するアプリケーションはMainframe時代のものから、大型のERPパッケージ、Outsourcingで開発保守されているもの、外部にHostingされているものなど様々だ。これらをService Matrixとしてマッピングしたものが下図である。
縦軸は“Application Delivery Model”とし、ソフトウェアがどのような形で提供されているかを示す。これを社内開発(In-House)-パッケージ(Off the Shelf)-外部開発(Vendor Maintained)に分け、横軸には“Infrastructure Delivery Model”を取って、どのようなインフラで稼動しているかを、社内設備(In-House)-設備移設(Co-Location)-外部利用(Full-Service)に区分した。下図左は、2つの軸にマッピングされたアプリケーション分類であり、下図右では具体的なベンダー名が入っている。そして、基本的に左下の「完全なオンプレミス」から右上の「外部インフラ利用のSaaS」にシフトする方向性を主たるもの“Major Shift”とした。つまり、当面は多くを自社クラウドで実行するが、将来は出来るだけ外部のSaaSも利用したいという計画である。2008年から始まったPSNでは、多くのアプリケーションは自営SaaSとなり、全世界のプロジェクトに携わる従業員やコントラクター/サブコン、パートナーなど3万人にポータルを通して提供されている。















Bechtelの場合は、全世界に展開するプロジェクトをより効果的に運営するため、最先端の技術を用いて融通性あるシステムを目指した。基本的にはベンダーに頼らずに、プライベートクラウドを構築した。これはひとつの判断だ。一方、現在のパブリッククラウドは発展途上にある。その意味では十分ではないかもしれない。しかし、だからと言って、プライベートクラウドを構築することに直結はしない。企業にとって、仮想化技術をデータセンターに適用することは本流となっている。ここまでは良い。さらに、その上にクラウド化すべきなのか、もう一度、自社要件を確認する必要がありそうに思う。

2010年1月4日月曜日

クラウドコンピューティングに思う(1)
-クラウドは第2のインターネットに向かう-

年の初めに、幾つかクラウドについて私見(その1)を述べたい。
まず、クラウドコンピューティングは、初期ステージを抜け出て、"第2のインターネット”に向かい始めている。この認識に立って、その意味するところを探ってみよう。

◆ 第1世代のインターネット

現代のコンピュータは誕生してから約60年が経った。
初の商用コンピュータUnivac-Ⅰは1951年に登場、IBM 360は1964年、初のPCとなったIBM PCが1981年、SunのWorkstationは1982年、ここまででコンピュータの基本構造は出揃った。そして90年代に入ると Mainframeは成熟し、PCやUnixがもて囃され始めたが、それらの本格的な普及は90年代半ば以降のインターネット時代の到来によってである。インターネットの登場で我々が学んだことは①公共性とは何か、②そのための標準化、そして③いつでも必要な時に利用できる形態(On Demand)だった。つまり、インターネットがこれだけ普及した原点(目的)は公共性であり、その具現的な手段(方法)としての標準化整備、結果、ユーザーには新しい使い勝手(利用)が手に入った。インターネットを閲覧するブラウザを見れば、この"目的”と"方法"が上手く噛み合い、新しい時代にふさわしい"利用"形態がが生み出されたことが解る。


◆ クラウドは第2のインターネット

これらの学習こそ、今日のクラウドを考える上で大事なポイントである。
クラウドの“目的”は何か、“方法”は何か、そして、ユーザーにとっての新しい“利用”とは何か。これらが上手く連携することが出来れば、クラウドは第2 のインターネットとなって、再度、コンピュータ産業は成長曲線に乗ることが出来る。インターネット(第1世代)は全てのユーザーに新しい世界を開放した。これを一般向けとするならば、クラウド(第2世代のインターネット)は企業向けである。企業の"利用”、言い換えればメリットははっきりしている。どの調査を見ても、直接のハードウェアや運用管理費などの削減だ。ITシステムに伴うハードやソフトは購入することなく、使用分だけを支払えば良い。使い方は第 1世代で定着したオンデマンド。このためクラウドでは、インターネットは単なる通信手段となり、その上にこれまでのIT資産を稼動させることが要求される。つまり、クラウド上のデータセンター(Cloud Data Center)化が“目標”だ。そして仮想化技術などを使ってどのように具現化するか、それが“方法”である。


◆ クラウドは集合知の世界

クラウドが大きな流れであることは誰でもわかる。
AmazonやGoolge、Salesforce.comなどのサービスプロバイダー、仮想化技術ではVMwareやCitrix/Xen、 Microsoft/Hyper-V、Linux/KVMなど、プロビジョニング関連ではRightScaleやCloud Foundaryなど、ミドルウェアではHadoopやGigaSpaces、CohensiveFTなど、また視点を変えれば、オープンソースでは Javaプロダクトシリーズ、MySQL、Eucalyptus、QEMUなど、さらにGrid Computingの関連ではGridGainや3TeraやAppistryなど、数え上げたらキリがないほど多様な企業が参画している。つまり、クラウドは単一企業のテクノロジーやアーキテクチャーではなく、全ての企業が係わるコンピュータ利用サービスのあり様だ。裏返すと、多くの人たちが共通と考える技術、つまりProprietaryなものではなく、オープンな技術環境が基本となる。この環境を触媒に、多くの企業が参加し、それらは集合知となって、より多くのユーザーの利便性が向上する。


Web 2.0が議論たけなわの頃、我々は集合知の重要さを学んだ。
この経験がクラウドには活かされている。現代は、多様な言語やフレームワーク、開発環境、さらにデーターベースやApplication/Webサーバーなどオープン環境に馴染むものが沢山ある。参加するプロバイダーやベンダーはこれらを利用し、それに得意分野の技術を加味して提供する。もはや複数のベンダーが協業したり、オープンソースを利用することは当たり前だ。

◆ コミュニティーが成功の秘訣(Amazonの秘密)

集合知の重要性は、ベンダー間だけではない。
クラウドプロバイダーや関連するベンダーにとって、彼らのサービスやプロダクトを評価し、さらには戦略の妥当性に反応してくれるのはコミュニティーである。それ故、コミュニティーの形成は必須であり、最重要案件だ。Amazonがクラウド(AWS)を始めるにあたって、最大の難関はここにあった。旧来の Amazonコミュニティーはパワーセラー (Power Seller)が中心。彼らは個人か小企業の集まりで、Amazonの集客力と提供されるプラットフォームに依存してビジネスを展開していた。クラウドサービスの開始にあたって、この集団をファーストユーザーと仮定、その後、デベロッパーコミュニティーに移行させたい。それがAmazonの作戦だった。もし、これが成功すれば、AWSに興味を持つデベロッパーとパワーセラーが融合され、強力なコミュニティーとなる。このため、Amazonは S3(2006年3月)、EC2(同8月)の発表後、同9月には物流受託サービスFBA(Fulfillment By Amazon)、翌2007年には支払い決済サービスFPS (Flexible Payment Service)をリリースして、クラウド移行の便宜を図った。両者はクラウド移行の仕事の出し手(Power Seller)と受け手(Developer)となり、結果は大成功。こうして、AWSのリリースは技術的な興味だけでなく、実ビジネスも引き寄せて、順調にスタートを切った。

クラウドは単なる新ビジネスのサービスメニューではない。
低迷するコンピューター産業にあって、クラウドは企業向けの第2のインターネットを目指している。そのため、参入するには公共性とは何か、どのように貢献できるのかを考えなくてはならない。その上で、自社の強みを加味する。
そうでなければ、クラウドビジネスは成功しない。