2009年3月31日火曜日

IBMのSun買収は上手く行くだろうか?

IBMによるSun Microsystems買収交渉が伝えられたのは、3月19日の早暁。
この日は皮肉なことにSunのOpen Cloud Platformの発表当日だった。
この買収は上手く行くだろうか?

IBMのビジネスは顧客サービスを中心に上手く行き、これは同社の決算からもはっきり読み取れる。ただ、この数年を見る限り、IBMのソフトウェア製品は精彩がない。2月のCloud Computingの発表「Dynamic Infrastructure」を見ても目新しさがなく、これまでのWebSphereとTivoliなどを組み合わせて、オンデマンドを衣替えしたという感が拭えない。

これに対してSunのビジネスはオープンソース戦略の途上に襲った米経済の急激な収縮に喘いでいる。しかしながら、ソフトウェア分野では活発な開発が続き、仮想化技術ではXenベースのxVM ServerやxVM Ops Centerを開発してGPLv3でリリース、Open Cloud Platform はこれにSun LabsのProject CarolineとHydrazineなどを搭載する予定のようだ。

こう考えると、ビジネスは上手く、多くのユーザ企業は抱えているが技術的な魅力に乏しくなったIBMと、ビジネスは上手くないが技術を持つSunの組み合わせはベストのように見える。つまり、マーケティング勢力とテクニカル勢力の合体である。


しかし、人間社会はもっと複雑だ。
まして、IBMは東海岸のEstablishment Companyであり、
Sunは正真正銘のSilicon Valley Companyだ。
2社のカルチャーは、水と油のようなものだ。上手く溶け合うだろうか。

かつて、同じようなことがあった。
2001年、IBMがInformixを買収した。
当時もビジネスはIBMが上手く、データベース技術はInformixが上だった。
IBMのトップは、Oracle追撃のためにInformixを買い、機能的に優秀なInformixをDB2にマージして両方のユーザを満足させながら、シェア拡大を考えていた。
しかし期待に反して、Edgar Codd博士が考え出した元祖RDBを手掛けるIBM開発部隊はDB2に固執し、Universal DBと謳われたInformixとは統合が出来ず、10年たった今も2つのプロダクトが存在している。

IBMのトップは巨大な組織を動かし、その狙いを確実に実行させることが出来るのか。全てはそこにかかっている。
カジュアルなジーンズ姿でステージから観衆のデベロッパーと語り合うSunのカンファレンス、それに引き換えスーツを着て企業ユーザに説明するIBMのカンファレンス、参加したことがある人なら、その違いに愕然とするはずだ。

この問題解決には、買収するIBM側にSunの文化、というよりもシリコンバレーの文化を受けいれる度量がいる。もし、それがなければ優秀なエンジニアは去ってしまう。

この買収でSunのブランドが消えることは無い。
その前提で、ベストシナリオは、IBMの営業部隊がSun製品を弱体だったSunの営業に代わって売り、Javaの財産をIBM製品と融合させることである。

このためのポイントは2つだ。
まず、IBMのマーケティング&セールス部隊がどう動くか。
IBMには素晴らしい顧客との関係を築くコンサルテーションやサポート力がある。
このパワーをIBMの営業部隊がSunに代わってSunユーザにテコ入れが出来るかだ。これが出来れば、Sunのユーザはハッピーだし、両社の売上げも伸びる。

もうひとつは、ソフトウェア・ポートフォリオである。
IBMの現在のポートフォリオは大別してWebSphereとTivoli、DB2、そしてRationalだ。これまで新しく買収した会社のソフトウェアは殆どがRational傘下となっている。
しかしSunの場合ははるかに大きな資産を持ち、あるものは競合する。そうなると、使い分けや組み合わせの工夫、場合によってはどちらかを取捨選択することは避けられない。例えば、WebSphereシリーズとJavaEEやGlassfish、これらは完全に競合するし、EclipseとNetBeansに至っては宿敵でもある。データベースではDB2/Informixに対し、MySQLが入るが、これは使い分けが可能だ。ただ、こう見ると、全体的にIBMの製品ラインとSunのソフトウェアを融合させることは容易ではない。これらの調整をIBMのシステム部隊が実行しなければならない。

DB2とInformixのマージすら出来なかったIBMにこれらの調整ができるだろうか。
こう考えると、このIBMによるSunの買収は、巷間噂される買収金額の問題とは別に、容易なことではないというのが実感である。