Microsoftのクラウドに賭ける意気込みは凄い。
これまで同社のビジネスモデルはソフトウェアをライセンス販売するものだった。
しかし今後は同社の開発したソフトウェア群をクラウド上にあげ、それをサービスとしてユーザに使ってもらう時代となる。サブスクリプションビジネスの到来だ。正確には、現在のライセンスビジネスと新しいクラウドビジネスが併走し、徐々にクラウドに移行する。そのスピードはWindows Azureの出来に係っている。
-Global Data Center Strategy-
クラウドの受け皿となるのが大規模データセンターだ。
2000年代初頭、“これからはソフトウェアビジネスからサービスの時代に移る”こう洞察したのはGates氏の後任でChief Software ArchitectになったRay Ozzie氏だ。氏はその過渡期の姿として“Software plus Service”を提唱、そしてWindows LiveやLive Search、Virtual Earthを進め、Windows Azureの開発に着手した。この流れと沿うように始まったのがMicrosoftの大規模データセンター建設である。2007年1月、テキサス州サンアントニオ(San Antonio)の新データセンター計画が決まり、同3月からワシントン州クインシー(Quincy)のセンターが稼動、2007年8月にはアイルランドのダブリン(Dublin)、同11月にもイリノイ州シカゴ(Chicago)のデータセンターの建設が決まった。
グローバル戦略“Global Data Center Strategy”に沿ったこれら4センターが同社サービスビジネスを支える大黒柱である。大手のインターネットビジネスを手掛けるAmazon、ebay、Google、Yahoo!などは1990年代後半から本格的なデータセンター構築を手掛けた。当時のデータセンターは、センター内にラックを持ち込んでサーバーを積み上げてケーブリング、そしてソフトウェアをインストール、全てが手作業だった。これを第1世代のデータセンターとすると第2世代では100台規模のラックまでを外部ベンダーが組み上げてそれをセンターに搬入した。第3世代になるとラックドサーバー群に電源や空調、通信インターフェースなどがコンテナーに組み込まれる形となった。コンテナーを製造するのはDell、IBM、HP、SGI、Sunなどのベンダーだけでなく、Firelock、Verariなどのハードウェアインテグレータも参加した。全てが個別仕様のコンテナー製造は彼らにとって得意技である。このように第2世代までは停電用の発電設備を持った大きなカラのビルを作り、その中にラックドサーバーを並べ、それが一杯になると別なセンターを作るという具合だった。第3世代ではコンテナー持込となって建物も付帯設備も簡素化され、センター建設のスピードとエネルギー効率PUE(Power Usage Effectiveness)の向上が図られた。
-Microsoft Generation 4 Data Center-
第4世代では更なる効率化がテーマとなる。
外見はコンテナーというよりプレハブに近く、より堅牢になって外置きが出来る。このプレハブには補助電源、空調、保守パネルなどが組み込まれ、外気を冷却用に取り入れ、昼間は補助空調で温度を一定に保つ。発注から設置まで数週間しかかからない。器となるデータセンターもビルではなく、簡易型の工場製作パネルとなって、囲いのようなものだ。勿論、高い塀の上には厳重なセキュリティー装置が設置されている。
データセンターの世代進化は進む。
実際のところ、Microsoftのクインシーが一番古く、次がサンアントニオだ。これらの初期建設は第2世代だったが、環境対策として、冷却用にクインシーでは水力、サンアントニオでは廃水リサイクルを採用した。見かけはコンテナーでなくとも第3世代の要件である省エネルギー化を追求している。シカゴとダブリンでは当初から第3世代として建設が始まった。シカゴセンターは巨大倉庫のような建物にコンテナーを搬入、一部は2階建てに積み上げた“Double Deck”方式である。夏冬の温度(6~13℃)差が少ないダブリンではこの気候を生かした第4世代の外置きも開始した模様だ。
こうして、クラウドの飛躍を担うセンターは第4世代に向けて動き出した。
IT時代は大きな節目を迎え、これまでのハードソフト購入のIT資産方式から、経費扱いのクラウドへと脱皮し始めた。それを支えるのが先進のデータセンターである。